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面白雑学

外国製剣道具の始まり      令和3年7月 記

この文章は私が剣道具屋として生きてきました中で、見聞きしました事をしたためさせていただきました。
私は昭和23年生まれです。戦後の人間です。この剣道具業界に入ったのは昭和49年(1974年)です。文献等を調べて書いたものではなく、あくまでも私個人の体験です。
まず最初,日本に剣道用品が輸入されたのは台湾から竹刀と六三四刺しの剣道着、木綿の紺袴でした。
当時の台湾は逆委託加工貿易が許されず、台湾産材料のみの加工品しか輸出できませんでした。剣道具は皆さんご存じのように藍染紺反と藍で染めた鹿皮が主材料です。
そこで登場したのが韓国です。台湾は竹刀のみの輸出、それ以外の剣道用品は逆委託加工貿易が出来る韓国が主になりました。戦前、大邱には正春武道具、ソウルには朝鮮武道具がありました。朝鮮武道具は全日本剣道選手権で優勝をした中村太郎選手のおじいさんが経営をしていた会社です。韓国には剣道具を製作する素地が1970年頃にはありました。主に大邱の正春武道具系列の剣道具制作会社が約4社、ソウルの朝鮮武道具系列が約3社。ちょうどそのころ日本では剣道ブームの時代です、韓国で製作する日本の業者も数多くおりました。1988年ソウルオリンピックを機に人件費の高騰と共に、徐々に韓国での製作に魅力がなくなり、朝鮮族が多く住んでいる中国瀋陽に拠点を移し、製造をする業者が現れました。安い人件費を武器に大量生産、大量販売の時代が来ました。安い商品が出回り始めたのはこの時代です。やがて高度成長を迎えた中国の人件費高騰は早く、約20年ほどしか主としては生産が行われなかったと思います。竹刀については現在も中国で生産されております。真竹に近い材料が東南アジアには無いためです。剣道具はその後、さらに人件費の安い国を求めて生産拠点を移動させていきます。それに伴い国内の職人は姿を消していきました。現在はベトナムが多いようです。日本の伝統、日本古来の武道、時代の流れとともに何処かに消えてしまったような気がします。


最近の剣道具     令和元年11月 記   

まず、剣道具の概念が大きく変わりました。一つには剣道競技を行う為のプロテクター化していることです。全日本剣道連盟が防具を剣道具 ゼッケンを名札と呼ぶように指導を頂きました。はたして連盟の思いが通じているか・・・
剣道具は身を守り、心を守るものと思います。打たれて痛い思いはしたくありません。稽古のやる気が失せてしまいます。
重い剣道具は衝撃を吸収いたします、軽い剣道具は衝撃を拡散いたします。竹刀で風船を叩いた時とバスケットボールを叩いた時との違いです。

面においては軽い、柔らかい、そして痛い?です。それは素材の変化が原因と思います。軽くするために化繊わたの使用、紺皮の代わりにクラリーノの使用です。クラリーノは汗に強く、鹿皮の様に汗塩に負け腐ることはないです。
化繊わたは汗を吸収することなく布団の外に出します、したがって汗で布団が硬くなることなく、布団に塩がシミ出て白くなります。布団自体が重くなることもありません。従来の布団は木綿わたで仕込んでいます。汗を吸い込んで布団が重くなりますが、頭の形に使い込むほどに馴染みます。
木綿わたの布団でも汗の量が吸収限度を超えれば塩がシミ出て白くなります。又、頭上のへたりは化繊わたも木綿わたも打たれていれば同じです。

胴については従来竹を組んで生皮を張った革胴が主流でした、価格の安い物は北越製紙製のファイバー製(紙を圧縮して作ったもの)でした。
その後、ナイロン胴(割れにくいが柔らかい)現在はプラスチック胴(ナイロン製よりは硬いが、たまに割れる)が主流になっております。
革胴で作った胴は重いですが、プラスチック製の胴は軽いので移動などの時は非常に楽です。

コテの布団も芯材は化繊わた、頭の詰め物も従来は鹿毛でしたが今は化繊わたが多くなりました。確かに軽いですが握りの形が付きにくいです。

垂も芯材が化繊わたなので軽いです。しかし、形が付きにくいです。


藍染について

藍染は日本古来の染色です。草木染め、泥染めなどと同じく自然の素材で染めたものです。
絣浴衣、足袋、植木職人の前掛け等、古来の紺色は藍染が主流でした。しかし、藍は色落ちが激しく、体が青くなる、洗濯機が汚れるなど不評です。
最近では合成染料で色落ちがしにくい藍紺色に染めたものも出回っております。
剣道は日本古来からの武道と言う事で染方法色も藍染にこだわりを持いるようです。

  小島染色工業株式会社 染色見本より      
                          



竹刀の歴史

現在、日本で販売されている竹刀の90%以上は中国からの輸入品と思います。その歴史は日本に輸出していた台湾の業者が中国にわたり生産を始めたのが始まりでした。
日本の真竹に近い竹質の材料が生えていたことに目を付けたからです。私が感じるに、中国真竹は日本真竹より少し硬いような気がします。もちろん土質、日当たりなどの条件で変わりますが、また、台湾材の桂竹も中国に運び竹刀に加工しております。日本の業界は日本産真竹、中国産真竹と区別をしております。日本産真竹はまだ日本で竹刀を削っている職人により使用されております。1本あたり2万円から3万円位します。所詮は竹ですから切り返し一発なんてこともあり得ます。飾っておくしかないですね。昭和の40年頃に台湾製の竹刀が日本に入るようになりましたが、ただの竹の四つ割りみたいで、竹刀とは呼べない商品でした。数年後久留米の竹刀業者が台湾に指導に行き、ようやく竹刀らしくなり、日本国内で安価な竹刀の主流になりました。その頃から国産真竹の竹刀は徐々に値が上り、作りも高級化していきました。それより以前は、安物はパック竹刀と呼ばれ、スポーツ店専用の販売竹刀で、材料は孟宗竹で、機械で作られており、折れやすくバランスの悪い物でした、真竹の竹刀が安かった時代です。竹刀職人も大勢いましたから、学生は安価な佳竹の竹刀、剣道家はもっぱら真竹の竹刀を使用しておりました。今では竹刀を削る職人は国内に数人しかおらず、さみしい話になっております。