お祭りのお話

このページは代々木八幡宮の祭礼、上原一丁目敬神会、代々木上壹の活動を紹介いたします。


写真提供 杉浦弘太郎


上壹敬神会の歩み

ここいらの地域は大正4年、町制が施行され、当時の代々木の正式呼称東京府豊玉郡代々幡町大字代々木字富谷と言われておりました。上原一丁目敬神会は昭和38年頃、まだ、東富谷と呼ばれていた地域です。曳太鼓には富谷下町敬神会と彫られております。その名残が上原1丁目に在りながら富谷小学校が存在しています。昭和12年、井の頭通りができたために富谷から分断され、上原1丁目に組み入れられました。富ヶ谷は富谷上町敬神会と富谷下町敬神会の2睦しかない時代でした。富谷上町敬神会は3睦に下町は2睦に分裂をし現在に至っております。上原一丁目敬神会は当初50所帯の小さな睦でしたが、山手通り(環状6号線)と井の頭通りの道路拡幅により更に所帯数が減り現在は約30所帯の弱小睦になっております。



上壹みこし渡御
     


       


掛け声のお話
掛け声には「ワッショイ」 「せいやソイヤッ」 「どっこいどっこい」と色々あります。それぞれの地域の特色が出ているのではないかと思います。
東京では城下(下町)の祭りは職人の祭りとして5月、6月に行われ「セイヤソイヤ」と威勢の良い掛け声が多い様です。又、7月、8月は漁師の祭りで海沿い(葛西、羽田、湘南)等は「どっこいどっこい」の掛け声が多いようです。9月、10月になると城外の祭り、鎮守様の祭りが多く、収穫祭を祝う祭りと変わり掛け声は「わっしょいわっしょい」に変りますが、当節の流行か江戸前の「セイヤソイヤ」と掛ける睦も多いようです。ちなみに当会も「セイヤソイヤ」と掛け声を出しております。





上壹敬神会初代神輿と二代目中神輿 三代目大人神輿
昭和27年(1952年)当時、神輿が無く、何か担ぐ物を探していた頃に菊塔の置物を見つけ、これを神輿にするために台に担ぎ棒の穴を作り神輿にしたものです。台座幅は1尺5寸、作りが塔の為、屋根の上に余計なものが付いておりバランスの悪い神輿でした。二代目の神輿は宮本製台座幅一尺三寸、子供神輿を兼ねてと作りましたが、子供には重すぎてもっぱら四隅を大人が持っての担ぎ出しをしております。現在担ぎ出しをしている大人神輿は初代神輿をモチーフにした作りになっております。台座幅2尺3寸、屋根幅(蕨を含む)4尺6寸、世界に一つしかないデザインです。


            
 

2023年大人神輿渡御
コロナ明け、4年ぶりの大人神輿渡御でした。久しぶりなので担ぎ手が集まるかどうか心配をしておりましたが
ふたを開けてみればおおよそ150名近い担ぎ手に集まっていただきました。皆さん、本当にありがとうございました。




          




        


      
         2023年宮入


復興祭に行ってきました

令和6年3月31日 足立区舎人公園
当日は夏日の暑い日になりました。3月とは思えない暑さ、ヒヒヒ・・・今回で11回目久しぶりの参加だけど参加者の多さにびっくり!
祭り文化は健在です。最初は稲垣氏が発起人で頑張っていましたが、癌で他界後は浅姿睦の海老澤氏が引き継ぎ現在に至っております。私は今年初祭り、気分はワクワク酒はグイグイで楽しい1日を過ごさせていただきました。
               
 
   
       
           

福島県白河市 南湖祭り  令和6年4月21日、
快晴の天気、心地よい祭り日和に初めての4月開催です。、例年は7月の最終日曜日開催されておりましたが、今年からは4月の第三日曜に変更です、南湖祭りは祀られている藤原定信公の御霊がみこしに乗り桜見物をする祭りです。ちなみに昨年までは御霊が南湖の周を夕涼みのする為の渡御でした。参加者は関東一円から集まっており、渡御を統括している白河神輿会の交際の広さを感じさせます。当会も約10年のお付き合いです。
          



  白川名物、白川ラーメン 鶏ガラ濃厚スープの手打ち麺、シンプルな美味しいラーメンでした。





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